昔は、敏感さは自分の好きなところでした。

鋭く理解したり、響くように反応することは、

自分を満足させるスキルの一つだったのです。

今でもそのスキルは役に立ってくれるときもあるけれど、

むしろ、どう反応しない自分でいられるか、に今はチャレンジし続けています。

 

〈鈍感力〉というと、なんだかちょっと違う。

〈無反応〉はもっと違う。

便宜上、「スキル」と説明しているけれど、

【反応しないこと】は「目的」では無く、

あることを選択すると生まれる状態であって、

反応しないように努力したり、

そのスキルを身につけるように訓練するものではないのです。

 

むしろ、

自分が機敏に反応してしまうか、

反応せずにスルーできるか、

を観察することで、

今の自分の状態を理解できます。

反応の有る無しは、リトマス試験紙のようなもの。

 

釈迦が、悟りを得ようとするとき、

悟りを開かせたくないエゴ(魔王)が、

美しい娘として彼を誘惑しようとしたり

大軍となって彼に矢を放ったりする逸話はとても有名だけれど、

彼は、見るものが「リアルではない」ことを深く理解していたために、

エゴの幻想を退けることができたと言われています。

 

この逸話だけ聞いたり、映像で見たりすると、

ファンタジー上のことだと思ってしまうけれど、

私たちは釈迦が体験したことを

実は毎瞬試されています。

私たちは全員、悟りに向かう修行者なのです。忘れているけれど。

 

 

私はまだ反応します。

自分がひどく失敗してしまったとき。

痛みを伴う病気の時。

事故が起こったとき。

 

それでも随分、過敏に反応することは少なくなったし、

反応が起こったとしても、元の自分の軸に戻れるようにはなってきました。

しかしエゴのあがきはまだまだ半端なくやってきます。

瞬間瞬間の選択あるのみ。

これこそが、私がするべきことなのだと実感する日々です。

・「YES」ボタンを毎瞬自分が押しているかどうか?

・この行動は「YES」ボタンを押したうえでの行動なのかどうか?

それを意識することが

私たちの課題になっているのです。


 

 

「反応」という言葉とその概念を聞いたのは、

21歳の時でした。

あの時、師匠は私くらいの年齢で、

私はそれを知識として素直に受け止めたのでした。

そこから、何層にも渡って、理解が進み、

これからもさらに理解が進んでいくのだと想像します。

 

「何がリアルで、何がリアルでないのか」

 

何を言ってるの?

自分の見ている世界こそが現実でしょ?

 

と普通思うだろうけれど、

リアルな夢と今の現実と、

何が違うのか、きちんと説明できますか?

ニュースの映像が、映画と違うと証明するために、私たちは動けるけれど、

全ては「自分の実感」=「真実」という構図が崩れたら、

崩れるくらいもろいものだと私は理解しています。

「『セクハラされた』という人が居たら、セクハラは成り立つ」、みたいな

真実とは実は不確かなものなのだと、どれくらいの人が分かっているでしょうか。

 

 

自分自身が

〈愛〉を選んでいるのか、

〈罪悪感〉を選んでいるのか、

いつも、覚醒した意識で見ていることが必要になってきます。

リアルを本当の意味で、いつも感じていられるまで。

 

 

コロナ渦で、今は

たくさんの恐怖や不安をたくさんの人と直面しているけれど、

これは本当にリアル?

エゴによる、大軍の矢と変わらないのでは?

釈迦ならどう見るだろう?

白隠和尚なら、どう発言するでしょうか。

 

 

私たちのするべきことは

〈反応する〉ではなくて

〈反応せずに、ただそこに居ること〉かもしれません。

見えているものを無いことにして

無謀にデタラメに自由にすることを推奨しているのではありません。

その見えているものがリアルではないと理解して

それを生み出すシステムについて学んだり、

自分自身を観察するときではないかと思うのです。

スルーする技術を学ぶには、

今はいいトレーニングになると思いませんか?

 

実はシンプルに、

ボタンは2つしかありません。

今この瞬間、自分がどちらを選んでいるのか。

 

自分の反応を見れば、

それが分かるようになっています。

 

 

 

 

あなたの今のその行動は

愛からですか、罪悪感からですか。

 

コロナの影響で、対面セッションをお休みし、

ミーティングはZoomに。

お話会もZoomオンラインお話会に変更。

オンライン飲み会も何度かしてみました。

 

オンラインの話は、微妙なタイムラグがあるので、

一緒に歌うことはできないし、

口火を切るタイミングがかぶると話がしにくく、

時間とエネルギーが余分に必要にはなるものの、

これまで遠方で参加できなかった人が参加できたり、

それこそ日本以外の国から参加できるのが楽しい。

 

初めの頃は結構邪魔しに来た子どもたちも、

母の仕事のオンラインお話会とミーティングの頻度にさすがに慣れてきて、

ちょっと遊びに来るくらいになってきました。

そして、この方法、私だけじゃなくて子どもにも使えないかなと考えていた辺りで、

子ども同士のZoomパーティー的なこともできるのだと発見。

 

娘たちは普段、久しぶりの友達とお出かけすると、

仲良しの友達でも、結構もじもじすることがあるので、

オンラインの再会がどんなものかと思ったら、それが意外にかなり盛り上がっています。

お互いの似顔絵書いたり、お互いの小学校の話をしたり、

部屋の外からでもテンション高くワーキャー言ってて可愛い。

 

今日は、一年に数回しか会うチャンスのないロシア在住の友達と

Zoomで会うというのでセッティングしたら、

しばらくすると、なぜか「ゴマ!ゴマどこにある?」と言って走り回っていました。

よくよく聞けば、オンラインしりとり、

しかも実物を5分以内に持ってこないといけないルールらしい。

 

ということで、あちこち走り回って、豆腐やらクシやら持って行って、

ガムテープ持って行った後は、

「ガムテープ、プ、プ、プ…」

と、さすがに相手も困って、

結局はスマホを開いて、

 

「プーチン大統領」

 

と言ったらしい。

さすがロシア♡

 

子どもはどこでも何でも楽しいこと見つける天才ですねー。

田舎にいるおばあちゃんとは電話のみだけれど、

(PCを触れない&スマホでないと繋がりにくくなってしまった)

海外とはおばあちゃん以上に繋がれる不思議。

 

そりゃアナログで出会うのが一番だけれど、今できることを探して楽しむしかない。

私たちの概念はどんどん崩壊して、再構築されようとしています。

同じやり方を取り戻せないくらいにまでの気持ちいいほどのテコの入れよう。

 

古いカチカチのものを取り壊して、

子どもに学んでいこう。

彼らは柔軟に、それでも遊んでいるのは昔ながらのしりとり。

 

大切なものは、ちゃんと残るようになっている。

 


初めてブログを書き始めたのは、14年前…

個人的なブログから、仕事のブログから、集客のブログから、

使ってみては、やっぱり使いにくく、途中で挫折したり、続かなかったり、

再会してはまた続かなかったり。

ブログ講座にも行ってみたし、集客のなんたらとかも読んだりアドバイスを受けたり、

自分の性格の問題や持久力のなさなのかと考えたり、

リスタートの度に、ブログサイト難民になってみたり。

 

よく考えたら、最初の我が子のブログが一番楽しかった気がする。

そして、集客のために頑張っていたりしたときが一番辛かった。

 

私の場合、頑張ろうとしたものほど、あまりうまくいかなかったことや

本当に役目があるものは、あれよあれよと勝手に進むのだと

ここ4,5年実証されたので、

SNSからも手を引いて、どこに発信の喜びがあるのかを実験してきたりしました。

ま、ほぼ、個人的なものは発信せずに身を引いてきたのですが(笑)。

 

身を引いてみたら、やっぱりお仕事で繋がるために、

定期的な仕組みは必要だなーと分かってきました。

意識を繋げるための仕組みです。

 

なので、今回はこちらのサイトにお世話になってのリスタートです。

私のことですので、いつ途切れるか全然保証できません(笑)。

今回は誰かのためでは無くて、お役立ちブログでもありません。

本当に役立てたい方は、セッションへどうぞ。

あの頃は、誰かのためになったらと思って頑張っていたけれど、

実は私のためであったし、

何より、みんなそれぞれが、自分自身で取り組むことが大切なのでした。

だから、本気でちゃんと取り組む人には、きっと次が用意されていますし、

取り組まない人も、それはそれでいいのです。

いつかはその時が来ます。

 

ですから、このBLOGはとてつもなく緩い感じ。

【愛に根ざしての発信する】以外、なんのくくりもありません。

どんなことになるのか楽しみです。

 

読んでくださる方とのご縁に感謝します。

世界は混沌としつつも、変容という光がそれを包んでいます。

私たちは、力を入れて頑張っているその手を離して、委ねるだけ。

 

私が力を入れて頑張る時代はもう終わったのです。

世界はフラクタル構造になっていますから、こうした流れはあちこちで見られます。

楽しみです。

どうぞよろしくお願いします。

 

HERP