小さな頃から、ただただ美しい物が好きでした。

空気の中にみえるキラキラした粒子、

触り心地のいい綺麗な色の布、

可憐に咲くスミレ、脈打つ自分の手のひら。

透き通るような歌声、光に透ける楓の葉。

 

 

ただ、大人になってから、

混沌としたものの中にも美しさが眠ることに気が付きました。

それは、星野道夫の写真からでした。

大地を這う木の根、雑草、まばらな野花。

整理されていない、雑然としたものの中から、見えたのは

生きていく力の美しさだったように思います。

それまで、整理され、整ったものが美しいのだと思っていた20代の私は

自分の美の価値観を変えられたのでした。

 

そこから、さらに時は経ち、

今はエルダーたちの中にある美しさにハッとすることが多くなりました。

形の造作に囚われない、奥から溢れ出す美しさに出会うと、

心から

「この人は美しい」

と思います。

 

ネイティブアメリカンたちは、

美の道を歩くことを大切にします。

自分が美しい道を歩くためには、自身を美しく保つことが大切なこともよく分かっていて、

そのために、浄化を欠かさず、バランスを取ることを意識します。

聖なる命の輪の内に、自分だけ多くを得たり、騙したり、へりくだったりすることは

美しくないことだと、私たちでも想像できます。

誰をも上としたり下としたりしない、彼らの目指す道は、

人として謙虚で、大いなるものと共にある、身を委ねた生き方で、

メディスンマンが、ハートに根ざす言葉を放つとき、

本当に、世界はその振動で神聖になるのを感じます。

 

 

身綺麗にすることは好きです。

おしゃれも楽しい。

けれど、それは、自分を繕うためではなく、

自分の美しさを表現するものでなければならないと思います。

私たちは、うわべだけの人間ではないし、

うわべだけに寄ってくる人たちを心から信頼することはできません。

他者を信頼するためにも、

私たちは、中身を磨き、あふれ出る美しさを許す作業が必要だと思っています。

 

私たちが醜いと勝手に判断しているものの中に美しさがあり、

意識無く手に取るものなかにも、いつも美しさがあります。

私たちは、いつも美しさに囲まれていて、

私たち自身も、美しさを内在させています。

それを感じるためには、私たちはあまりにも多くを持ちすぎ、

いちいち味わっていたら、大変になるために、

センサーをオフにしているのかもしれませんね。

 

ちょうどこの記事を書いているときに、

また今年も「世界で最も美しい顔」が発表されたという記事を読みました。

世界には、顔だけで判断してしまう人がたくさんいるのは、

全体ではなく一部で判断する人がたくさんいることを表しているのだと思います。

にじみ出る美しさを感じるには、

受け手の方の受信センサーの性能が試されるということでもあります。

逆に、あなたがもし、

様々なものの中に美しさを感じられたら、

あなたは自分の心の中に、それらの美しさを享受していることが分かります。

 

世界が、美しさで溢れていることを本当に理解したら、

私たちはきっと、それを破壊したりできずに、

その美しさの中に、自分の居場所を借りられることを感謝したくなります。

きっと、

そうして過ごすあなたは、とても美しい存在だと、私は思います。