某お笑いタレントの不倫ニュースが連日報道されていていますね。

普段は、不倫ニュースを見ても、

配偶者の心理的暴力にならないようにして欲しいと願う以外、

興味の外にあって、目にとまらないのですけど、

今回は、ちょっと第三者の心理的な助けがあった方がいい気がするなあ…などと

思いながらつい気になって見ています。

彼が(無意識だとしても)女性の尊厳を軽視していたとしたら、

実際は、彼自身も尊厳を傷つけているから。

 

 

他の芸人さんたちが彼について聞かれて、

「調子に乗っちゃったんだと思う」的な発言をしているような記事を

いくつか読んで、

調子に乗っちゃうって、どういうことなんだろうと改めて考えてみたりしました。

だって、私たちは調子に乗っちゃう瞬間があると思うのです。

「自分はイケる」「自分はイケてる」と思う瞬間です。

 

私たちの勉強会の中で、

先日、こんな話を教えてもらいました。

ネイティブアメリカンはバッファローの狩りにいくとき、

ガイドする者、勇敢な者、智慧を持つ者、怖がる者

この4人が居ることで、蕪辞に帰ってこられるというのです。

逆に言えば、帰還には、この4人が欠けてはならないというのです。

興味深いところは、怖がる、という役目の人が確立されていること。

私たちは、つい、恐れを臆病だと捉えて、

抑圧したり、無視したり、乗り越えようとしたりしてしまいますが、

怖がる者は必要とされ、きちんと居場所があるのです。

 

私はこの話を聞いて、

この4人の役割は自分の心の中にもあると思いました。

ただ、普段、私たちは自分の心の中の「恐れ」をジャッジして、

「恐れ」が居心地の悪くないように居られる椅子をなかなか用意できていないような、

そんな気もしました。

自分の心の中でも許せないものが、形となって目の前に現れたとき、

私たちは反応せずにいられるでしょうか。

 

これは、何も「恐れ」に限ったことではありません。

例えば、普段、無意識に嫌悪したり苦手だと思って見るものは、

私たちの内側に居場所を与えていないものです。

怒りっぽさ、聞き分けのなさ、しつこさ、騒がしさ、惨めさ、恥ずかしさ…

「その気持ちのまま、私の心にいていいよ」と言ってあげにくいものはあります。

ただ、その役割は、私たちがバランスを取るために、そして、生き抜いていくために、

とりあえず今は必要なものです。

 

その上で、「調子に乗る」ことを考えてみると、

ガイドする者、勇敢な者、智慧を持つ者、怖がる者のうち、

ガイドする者と勇敢なものだけが暴走して、ガツガツとスピードを上げて

狩りに行く感じかなあなどと、想像していました。

彼らだけでの行動は、誠実さが足りないときのアドバイスがなく、

身の程をわきまえない内容になってしまうのは仕方ありません。

ハウツーと前に進む勇気だけでは、自分の一部だけで生きているのと同じだと思います。

バランスを取るようになると、

エゴの欲求は際限なくやってくるうえ、ゴールもないことが分かって来はじめ、

いずれエゴではない選択肢を探すようになっていく…という流れのような気がしています。

 

私たちの人生をかけての願いは、統合だといいます。

それは、大きな源、大いなるものとの統合でもあり、

自分の中の分離を統合することでもあると思います。

たぶん、この二つは、違うように見えて、結局は同じもののはずです。

 

調子に乗ることも、私は、あっていいと思います。

自分も。他人も。

その瞬間を赦すことで、次のステップに私たちは進んでいけるはずです。

でも、調子に乗っている自分に気が付いたとき、

何かを忘れているような感覚を持てるように、

そして、それを思い出す時間を取るようにだけしていられたら、

私たちはまたバランスを取れるチャンスに恵まれます。

 

人生には、いろんなことがあって、

この身体で様々な体験を重ねていく計画をしています。

失敗した人を見て、私たちが責めることで、自分を追い詰めることがないようにと願います。

いつでも、愛に定まって、世界を眺められるように。