コロナ過、煮詰まってますね。

いろんな情報が錯綜して、あんまりいい気持ちにならないので、

敢えて情報を取らないようにしていますが、

でも最低限の情報は入ってきます。

この生きづらさ、暮らしづらさは、コロナだけの影響でないよなあ…

と、感じています。

 

そんな折、

我が子が従兄弟と遊びに行っていたと思ったら

この数日、コンビニでおやつをご馳走させていたという

小4にありがちな事件が発覚しまして、

夜遅くまで、本人と話し合いました。

 

私の父親の世代は、

とにかく原因となる人物とその行動を暴き、

悪を断罪する的な指導だったと思いますし、

私もかつては「それはダメなことだ」「悪いことだ」と叱ったりしていたと思うのですが、

長年学んだおかげで、今は違うアプローチをすることができます。

一方的な正悪は問題解決にはならないことを、知っているのです。

 

「おかしが食べたかった」ことは、決して悪いことではありません。

「我慢できなかった」ことも、残念なことではあるけれど、悪いことではありません。

そもそも、誰が悪いのでしょうか?

それぞれに事情があって、それぞれに欲求がある。

その欲求の対応の仕方が、不味いときがあるし、失敗することもある。

それは、本人の本質を「悪い」とすることは、絶対にできないのです。

 

私は

「あなたは、悪くないよ」

と伝えました。

心からそう思って、そう伝えました。

ポタポタ涙をこぼしていました。

 

彼女は、とても頑張り屋さんで、

何でも実行できるパワーと実力を持っています。

反面、傷つきやすさも抱えていて、

社交的な外側に反して、家では気持ちを吐き出したりもします。

「◯◯のせいや」

とプリプリ怒ったりもします。

 

誰かのせいにしたいとき、

誰かを糾弾したいとき、

本当は自分自身を責めていることを知っています。

 

自分のせいだと受け止めきれないとき、

私たちは誰かのせいにしたくなります。

 

「◯◯のせいやって、いつも怒るけど、

本当は自分のこと、悪いと思ってるんでしょ?」

と、彼女に言うと、ずっと静かに泣いていました。

 

 

やり方が不味かったとき、失敗したとき、

自分を悪いと思わないでいいことを、私たちが知っていることが

とても大切だと思っています。

その失敗を責めたくなるとき、

私たちは、自分のことを責めているのだと理解して、

大目に見ると、結局は自分が赦され、解放されます。

私たちの本質に、一点の濁りもないし、罪はない。

その輝きは、絶対に失われないのです。

 

やり方を失敗したと思うなら、修正すればいいし、

自分の心が愛に基づいた、もっと心地いい方法を知っていけばいい。

罪悪感を持たずに済む方法を選択する方が、ずっと人生が幸せになることを

本当に体験すれば、心配しなくても、自ずと修正されていきます。

だって、その方が楽だから。

エゴに支配されない人生を目指した方が、

実はずっとずっと楽なのです。

大目に見て、赦していく方が、人生はずっと楽になります。

それは、放任や無関心とは違う、

新しくて、とてつもなく古い方法です。

 

他人にどう接するかは

自分にどう接するかと一緒だなんて、

概念としては「あー、そうだね」などと思っても、

「実際に、本気でそうなんだ」と、どれくらいの人が理解するでしょうか。

誰かを規制したり、正したり、更生したりすることは

自分を縛ったり、統制したり、改心させることと一緒なのです。

エゴをエゴで正そうとしても、解決にはならないのです。

 

赦していくこと。

失敗はあっても、私たちの輝きには何の損失もないことをいつも覚えていること。

「あなたは悪い」と言わないこと。

 

あなたは悪くない。

 

あなたは悪くない。

 

 

失敗は、修復できる。

 

 

 

子どもが落ち着いてから、

親として、

「次からどうしたいいのか」

私が考えることを、いっぱい話しましたけどね(^.^)

 

 

 

優しい社会を作るために。

自分が幸せに生きるために。

 

子どもたちに伝えていきたいことです。

そして、

子どもたちを取り巻く大人が、実践していければいいなと思うことです。

 

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