調べものをしている途中で、

山田圓尚氏によるデニス・バンクス氏のイベントの古い記事を読みました。

http://blog.7gwalk.org/?eid=1262629

 

「皆さんのお名前と職業を教えてください。

もしも

母である場合は、そのことを自信を持って伝えてください。

すべての職業の中で

『母』という役割が一番尊いと思っています」

 

と、彼が話した言葉が書かれてあって、

それが心に残りました。

 

私も

母親という役割が一番尊いと思っていたのですが、

ここ10年近く、あまり声高にそう言わなくなった自分がいました。

希望があっても結婚が叶わない女性がいたり、

子どもを持てなかったりする女性が身近にもいることを理解して、

彼女たちへの配慮と、

母親でない女性への敬意を表そうと考えてきました。

実際、彼女たちの役割は、母親という役目と変わらずに大きく、

彼女たちの存在は、自分のことのように大切に思っていて、

そして深い尊敬の対象でもあります。

彼女たちでないといけないことが、確実にあるのです。

子育ては母親だけのものではなくて、地域の、国の、世界のものだし、

子どもは、個人のものではないからです。

すべての子どもは、私たちの子どもです。

 

それでも、

実際の子育ては本当に途方もなくて、

子どもを持つ女性は、相当の体力と選択肢と悩みを常に抱えます。

子どものいない女性と子育て中の女性の間にも

実は見えない壁があります。

子育ての労働力は、本当に(自分で言うのもなんですが)

最大級の価値のあるものだと感じます。

けれど、一口に「素晴らしい」とは言ってしまえない。

なにしろ、

24時間、湧き出す愛情に包まれたい子どもたちが側に居るのですから。

 

 

母親は鍛えられ、疲弊します。

自分の力だけでは持たないことを理解します。

自分の傷が障害になっていることも理解します。

自分の無力さを痛感し、罪悪感にさらされます。

大きなチャレンジですが、

子育てはまさしく「愛の仕事」なので、やるだけの価値があり、

しっかり向き合えば、子どもが育つ以上のことを、受け取れます。

自分の成長だったり、他者への信頼だったり、

自分の常識の崩壊だったり、愛が循環していくことだったりします。

 

 

どこにでも母親は居ます。

けれど

たくさんの女性に支えられ、

安息のうちに

「私の仕事は母親です」と言える女性はどれくらいいるでしょうか。

もし、「私の仕事は母親です」と胸を張れる母親は、

どんな母親だと私たちはイメージするでしょうか。

自分に置き換えてみると

「そう言うには、ちょっと(自分が)足りない気がする」

という気持ちが心の中にあることに気づきます。

私たちはもっと支えられてもいいはずなのに。

もっと、力を借りてもいいはずなのに。

 

私にはビジョンがあって、

それは、女性のためのセレモニーを開くことです。

その映像は見たので、私が努力しなくても、

ほどけるようにそのビジョンが花開くときが来ると知っています。

(その時のために、学んでいる最中ですが。)

私が見たのは

母親であっても、母親でなくても、

特技がなくても、自信が無くても、どんな女性であっても、

自分を讃え、その存在を祝うセレモニーでした。

 

すべての人に

「あなたの仕事は素晴らしい。尊敬します」

と、讃えられてもいい仕事。

みんなの代表となって、子どもを育てる役割を担う人。

母親は威厳を持ち、もっと自信を持ってもいいと思います。

誰も排除せず、

母親という仕事を知りたいどんな人も、私たちが受け入れ、

一緒に仕事を任せられるようになるといいなと思います。

男性も、若い女性も、子どものいない人も。

 

 

あなたの周りに母親は居ますか?

あなたのお母さんはいますか?

あなたを育ててくれた存在はどんな人ですか?

 

あなたが愛をもらってこれたとしても、

もらってこれなかったとしても、

あなたが、愛を母親たちに使うことで、

あなたの一部は必ず満たされます。

 

 

私たちが、このすべてのバランスに感謝し、

愛を使ってつながっていけますように。

その愛が、子どもたちの糧となりますように。

 

 

世界中の母たちに感謝して。

長くネイティブアメリカンの精神性について学んでいるのですが、

コロナの影響で、さらに自主勉強の機会が増え、

調べものをしたり、英文を訳したり、学びあったりしています。

 

私の勉強しているアニシナベ族の西の方角のメタファーは

黒・バッファロー・祖先・秋・夕時、などなどあるのですが、

いつも不思議に思っていた「祖先と先祖」について調べてみました。

 

ご先祖様というように、先祖は血縁関係のある故人を差し、

祖先はというと、太古の人類の祖先などと、血縁関係の有無を問わず、

DNA的な分類における故人を指すみたいです。

なるほど、勉強になりました。

私はスウェットロッジ(ネイティブアメリカンの再生の聖なるセレモニー)の中で

ご先祖様に祈っているとき、実は祖先に祈っていたのだなあと発見しました。

ちなみに英語では先祖も祖先も、共にancestorです。

 

イマドキ、お墓参りも法事も少なくなり、

祖父母との関係も希薄になっている人もきっとたくさんいると思います。

死がタブー視されているのは、戦争や宗教との関わりもあります。

けれど、肉体を持つ私たちには切り離せない死生観。

コロナのプロセスで、私たちが恐れているのは「死」。

それをどう捉えるか、どう向き合うか、どういう世界観で見かは

今、学ぶチャンスなのだと感じています。

怖がらずに学べば、

「今日は死ぬのにはいい日だ」

(ネイティブアメリカン解放運動リーダーのデニス・バンクスによる言葉)

と言えるくらいの心も持てるかもしれません。

 

 

 

ネイティブアメリカンのancestorは2種類あるそうです。

肉体を繋げてくれた人たち。いわばご先祖様たち。肉体はいつかなくなります。

そして、スピリットとしてのancerstor。こちらは祖先と言えそうな気がします。

そのどちらにも祈る。

死は怖いものではなく、スピリットは決して死にません。

 

死は「無」ではありません。

とても深い話で、心で感じるしかなく、証明することはできませんが。

エゴが作るのは、分かりやすい恐怖としての死であったり、

天国と地獄、といった操作の入った死で、

私たちを現実でも死においても支配しようとします。

もうそろそろ、恐怖に支配されるのではないフェーズに進んでもいい気がします。

 

それぞれ、死ぬまで確かめられないかもしれないけれど、

自分の平安がある死生観をそれぞれに確かめていく機会が、今ここにあります。

あなたが愛を感じる「死」について、

学んでみてはいかがでしょうか。

私がネイティブアメリカンをリスペクトしているのは、

彼らが宗教ではなく、その死生観を

太古の祖先の智慧として受け継いでいるからなのだと思います。

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